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競艇選手

【競艇】濱野谷憲吾のプロフィールまとめ!年収や過去成績・得意なコースは?

ボートレース漫画の金字塔とも言える作品、「モンキーターン」。皆さんは読んだ事がありますか?実在のボートレーサーをモデルにして描かれた漫画で、ゲームやアニメ、パチンコのタイアップなどとても人気のある作品です。

今回はその主人公、波多野憲二のモデルにもなった東京支部所属のA1ボートレーサー、濱野谷憲吾選手についてまとめてみました。

「東都のエース」「水上のファンタジスタ」とも呼ばれるイケメンレーサーを色んな角度から見ていきましょう。

濱野谷憲吾のプロフィール

濱野谷憲吾(はまのやけんご)基本情報
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1973年11月8日
身長 169cm
体重 53kg
血液型 A型
登録番号 3590
登録期 70期
級別 A1級
師匠 乙津康志
デビュー日 1992年5月19日

濱野谷憲吾選手は東京都出身、東京支部所属の現役ボートレーサー。

お兄さん(濱野谷憲尚)はJRAの元ジョッキーで現在は調教助手をされています。

同期

濱野谷選手は70期の選手です。

同期にはSG常連の広島支部の前本泰和選手や滋賀支部所属のびわこ番長吉川昭男選手。

今期はA2に階級を下げていますがそれでもかつてA1の貫禄十分の福岡支部、白水勝也選手などがいます。

ボートレーサーになったきっかけ

ボートレーサーになったきっかけですが一言、「高収入を得て、いい車に乗る為」と語っています。

非常にシンプルでストレートな理由ですが、実際に活躍して高収入を勝ち取っている訳ですから、有言実行ということですね。

本栖研修所に入所・デビュー

濱野谷選手は中学卒業後、本栖研修所(現在のボートレーサー養成所)へ入所します。

その後卒業、70期生としてデビューを果たします。

デビュー戦は1992年5月19日、地元であるボートレース平和島で迎えます。

このデビュー戦は敗れてしまいますがその次のレース、つまり2走目にして初勝利を挙げてしまいます。

デビューしてから初勝利まで1年以上を要する選手も珍しくない中、とてつもなく早い初勝利ですね。

のちの大活躍を予感させる快挙でした。

19歳での初優勝、その後2回目の優勝

デビュー2戦目にして初勝利の水神祭を挙げた濱野谷選手の初めての優勝は1993年9月23日、デビューから1年と4ヶ月、19歳10ヶ月の時にボートレース戸田で開催された一般戦でした。

この後2度目の優勝まですぐ…と思いきや、優出しても勝ち切れないという事が続きます。

初優勝から2回目の優勝まで優勝戦25連敗、費やした時間は2年と7ヶ月、1996年5月6日にボートレース平和島での一般戦で2度目の優勝の瞬間を迎えました。

2度目の優勝からの快進撃

25回の優勝戦敗退、それを打ち破った2度目の優勝…その後はプレッシャーから解き放たれたか、目の覚めるような大活躍を見せます。

3節連続優勝を含む、年間7優勝という記録を打ち立てています。それまで25回も優勝戦で敗れていた選手とは思えない活躍ですね。

一日に二度の転覆

そんな大活躍を見せた1996年、10月にボートレース福岡で開催された「第43回 全日本選手権(現在のボートレースダービー)」にSG初出場を果たし、初出場ながら3勝をマークする活躍を見せました。

しかしその一方、5日目の4レースで転覆、同じ日の7レースでも転覆と、一日に二回も転覆失格になるという前代未聞の記録にも見舞われました。

皮肉にもこの事が全国のボートレースファンに「濱野谷憲吾」の名を深く知らしめた要因ともなったようです。

G1初制覇

翌年の1997年、ボートレース桐生の周年記念競走、「G1第41回赤城雷神杯」でG1初優勝を遂げました。予選で1着2本、2着2本の成績を残し4号艇で臨んだ準優勝戦。

2コースから捲りを決めて優勝戦の内枠を手にした濱野谷選手は翌日の優勝戦に3号艇で出走します。

3コースからコンマ07のスタートを切った濱野谷選手は捲りを決めてトップに立ち、のちに並んで関東のエースと呼ばれる事になる山崎智也選手とのワンツーで初のG1制覇を飾りました。

SG初優勝

G1を制した翌年の1998年、3回の優勝を数えて臨んだ10月の「SG第45回全日本選手権」に出場。

準優勝戦に2号艇で出走しました。

植木通彦、今村暢孝両選手など、実力者が揃うこのレースで4コースからまくり差しでの勝利を手にし、3号艇で優勝戦に進出します。

優勝戦では5コースまわりとなってしまいますが、ここでも捲りをしっかり決めて勝利。24歳で初めてSGの栄冠を手にしました。

漫画 モンキーターン

濱野谷選手を語る上で欠かせないのがこの「モンキーターン」。主人公の波多野憲二のモデルとなっているのは濱野谷選手です。

他にもライバルの洞口雄大は仲口博崇選手、艇王・榎木祐介は元ボートレーサーの植木通彦氏、強豪女子レーサーの櫛田千秋は寺田千恵選手と、それぞれモデルに起用されています。

全く一緒、と言うわけではありませんが、名前や地元の平和島など、モデルとして起用されている事は分かりますね。

筆者はそのモンキーターン作中での波多野憲二の6号艇のイメージが強いので、ボートレース平和島で濱野谷選手が出走した際は波多野憲二と重ねてしまい、ついつい舟券を買ってしまいます。

その後の活躍〜2000年

1998年10月にSGを制した濱野谷選手ですが、活躍はそれだけに留まりません。

翌月にボートレース浜名湖で行われたダイヤモンドカップで優勝し、2つ目のG1タイトルを手にします。

翌年1999年には、

6月のボートレース芦屋の周年記念、全日本王座決定戦 開設47周年記念競走

7月のボートレース多摩川の周年記念、ウェイキーカップ 45周年記念競走

9月のボートレース多摩川のダイヤモンドカップと、年間3つのG1レースの覇者となりました。

2000年はボートレース芦屋の周年記念競走を前年に続き連覇し、11月26日にはボートレース住之江で開催されたSG「第3回競艇王チャレンジカップ」で優勝。3年間で2つのSG、5つのG1タイトルを獲得しました。

2001年〜

2000年にチャレンジカップを獲得した後もその快進撃は止まらず、

2001年は5月末から6月頭まで開催されたボートレース津の周年記念、「つつじ賞王座決定戦開設49周年記念競走」で優勝し、年末にはボートレース住之江で開催のSG「第16回賞金王決定戦競走 シリーズ戦」で優勝し、3つ目のSG獲得。

2003年は目立ったタイトルこそありませんが、年間勝率8.19と、まさに東都のエースと呼ぶに相応しい成績を残しました。

2005年は平和島、江戸川、福岡と3場の周年記念レースで優勝し、ボートレース鳴門のダイヤモンドカップでも優勝。年間5つの優勝の内、4つがG1レースでした。

4回目のSG優勝

濱野谷選手にとっての4つ目のSG優勝、それは2007年3月の事でした。

地元、ボートレース平和島で開催された「第42回 総理大臣杯」に出場した濱野谷選手は予選6走中5レースで連対し、準優勝戦に2号艇で出走。

インに構える石川真二選手を差し切り、見事勝利して優勝戦へ駒を進めました。

優勝戦では1号艇の植木通彦選手がコンマ01のフライングを犯してしまいますが、その他全員がゼロ台のスタートを決める中、濱野谷選手はまさかの気合いのタッチスタート。

恵まれでの勝利となりましたが、見事総理大臣杯を勝ち、自身4回目のSG優勝を成し遂げました。

1996年から25年間続くSG出場

濱野谷選手は1996年の全日本選手権に出場してから、2020年現在までなんと25年間毎年SGに出場し続けています。

言うまでもなく一流レーサーの証ですよね。

濱野谷憲吾の特徴や得意なコース

濱野谷選手の特徴など、以下の通りになっています。

レーススタイル、特徴

濱野谷選手の特徴は、なんと言ってもその鋭く豪快なターンでしょう。

豪快な捲りが決まった時は見ているこちらも思わず息を飲む瞬間です。

平均スタートタイミングはコンマ15〜コンマ16と、早くも遅くもないのですがそれでも勝ち星を積み重ねていけるのはそのターン技術あってこそでしょう。

コース別成績

各コースからの成績は、以下に表にしました。

コース 1着率 2連対率 3連対率
1コース 61.9% 81.2% 87.9%
2コース 28.0% 53.6% 70.9%
3コース 25.0% 48.6% 66.6%
4コース 23.6% 46.0% 63.6%
5コース 14.2% 36.4% 52.6%
6コース 7.2% 24.1% 44.0%

こうして表にしてみると、どのコースからでも3着以内にまとめる能力が高い事が分かります。

特に3連対率は4、5、6コースからでも約半分と、外のコースからのレースだからと言って軽視できない存在ですね。

濱野谷憲吾の過去成績・優勝歴

濱野谷選手の通算優勝は記録に残っているだけでも83回。

その中でもSGは4、G1は21ととてつもない回数の優勝を誇ります。

主な優勝 1997年〜2005年

こちらではそのSG、G1の主な優勝歴をまとめました。

1997年9月11日 桐生 G1 第41回赤城雷神杯競走
1998年10月11日 福岡 SG 第45回全日本選手権競走
1998年11月17日 浜名湖 G1 ダイヤモンドカップ競走
1999年6月3日 芦屋 G1 全日本王座決定戦47周年記念競走
1999年7月6日 多摩川 G1 ウェイキーカップ 45周年記念競走
1999年9月28日 多摩川 G1 ダイヤモンドカップ
2000年5月18日 芦屋 G1 全日本王座決定戦48周年記念競走
2000年11月26日 住之江 SG 第3回競艇王チャレンジカップ競走
2001年6月3日 G1 第30回つつじ賞王座決定戦
2001年12月24日 住之江 SG 第16回賞金王 シリーズ戦
2004年3月14日 三国 G1 三国50周年北陸艇王決定戦
2005年4月17日 平和島 G1 トーキョーベイカップ開設51周年記念競走
2005年6月7日 江戸川 G1 江戸川大賞
2005年10月15日 鳴門 G1 ダイヤモンドカップ競走
2005年11月17日 福岡 G1 福岡チャンピオンカップ開設52周年記念競走

主な優勝 2006年〜

2006年5月16日 芦屋 G1 全日本王座決定戦開設54周年記念競走
2006年6月6日 G1 つつじ賞王座決定戦開設54周年記念競走
2007年3月21日 平和島 SG 第42回総理大臣杯
2008年12月9日 下関 G1 競帝王決定戦開設54周年記念競走
2009年8月4日 桐生 G1 開設53周年記念 赤城雷神杯
2010年6月17日 G1 第39回つつじ賞王座決定戦開設58周年記念競走
2011年12月6日 江戸川 G1 第57回関東地区選手権競走
2015年6月18日 江戸川 G1 江戸川大賞 開設60周年記念競走
2018年6月5日 丸亀 G1 京極賞開設66周年記念競走
2018年10月18日 住之江 G1 第46回高松宮記念特別競走

濱野谷憲吾の年収は?

毎年SGに欠かさず出場し、4度のSG制覇を誇る濱野谷選手。その年収(獲得賞金額)はすごいのでしょうね。

一体いくらほど稼いでいるのか。調べてみました。記録に残っていた2002年からの分をまとめました。

2002年 約1億1,148万円
2003年 約1億2,890万円
2004年 約1億3,512万円
2005年 約1億6,513万円
2006年 約1億858万円
2007年 約9,128万円
2008年 約1億3,963万円
2009年 約7,127万円
2010年 約1億367万円
2011年 約5,171万円
2012年 約4,516万円
2013年 約5,187万円
2014年 約5,154万円
2015年 約4,624万円
2016年 約3,947万円
2017年 約3,354万円
2018年 約6,523万円
2019年 約5,842万円
2020年11月現在 約3,345万円

2002年から5年連続で1億円以上の賞金を獲得していますね。

2011年以降は少し調子を落としているのか、獲得賞金は全盛期に比べて減っているイメージですが、それでも毎年3000万円以上は稼いでいるので、一般の職業と比べればかなり高額なことが分かります。

濱野谷憲吾はSNSはやってる?

濱野谷憲吾のTwitterやInstagramのアカウントは存在するのか。

見てみましょう。

濱野谷憲吾のTwitter(ツイッター)は?

Twitterアカウントは確認できませんでした。

濱野谷憲吾のInstagram(インスタグラム)は?

Instagramもアカウントは存在しないようです。

濱野谷憲吾のYouTube(ユーチューブ)は?

個人のYouTubeチャンネルは存在しません。

しかし、ベテランレーサーらしくインタビュー、レース映像など様々な動画が上がっています。気になる方はチェックしてみましょう。

濱野谷憲吾のプロフィール|まとめ

漫画「モンキーターン」主人公のモデルとなり、現実でも4つのSGホルダーとして活躍を続けるベテランレーサー。

デビューから1年4ヶ月での初優勝、優勝戦25連敗から脱出してからの快進撃…。

一日に二回の転覆など、不名誉ながら強烈なインパクトを与える記録まで打ち立て、その端正なルックスから絶大な人気を誇る濱野谷憲吾選手。

語りだしたら止まりませんね。(笑)

ここ何年かは少し調子を落としている印象も否めませんがそれでも一流のA1レーサーとして走り続けています。

いつかまたSGの舞台、ひいては漫画の波多野憲二の様にグランプリ制覇する瞬間を迎えて欲しいですね。

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